国家なる幻影 わが政治への反回想(上)

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私は読むスピードが遅い、速読までいかなくても普通の人より速く読めるようになりたい。どこかの速読の本に読みながら頭のなかで音読していることが遅くなる原因だと書かれていた。この本を読む上で頭で音読しないよう意識したものの、読み終わるまで1ヶ月もかかってしまいました。

やっとこさ(上)を読み終わったので読んだ感想をめも程度にまとめました。

この本は石原慎太郎が政治家として体験したこと、見聞きした事柄について過去を振り返る内容となっている。

 

私の石原慎太郎へのイメイジ(←イメージの石原慎太郎風)は好感をもっている政治家で、好きになった理由としては、1.保守であること、この本でもでてくるが青嵐会の存在、2.作家、政治家としてのカリスマ性  3.行った事に一貫性があること(揚げ足をとれば少さな事柄についてはあるだろうが)である。

 

この本では、私の好きな理由にも挙げた発言の一貫性にもなるのだが、今日と過去の発言においてブレがないことだ。国防、外交、原発などの話においてもまったく今発言してもなんら問題のないものばかりである。中国のことを支那(シナ)と呼ぶこともそうです。シナと呼ぶ由来は中国またはその一部の地域に対して用いられた地理的呼称だそうです。王朝が頻繁にかわるため、こういう呼び方になったのだ。なんの偏見をもった呼称でもない。また私としては、中国は中華民国であり台湾であるという考えである。しかし、大陸を実質に支配しているは中華人民共和国であり中国=中華人民共和国でもしかたがないのが現状です。

 

政治家としての始まりは、時の首相である佐藤栄作の助けもかり参議院議員選挙に自民党から全国区に出馬しトップ当選したのはじまりだ。このときの佐藤栄作、田中角栄の話は、昔の政治家に無知な私としては人物像が細かく書かれており他の政治家についても勉強になった。派閥間の話について詳しく書かれているが、自民党がこれだけ長く政権をにぎっていたのは、政党内で勢力を競い合い、利権の取り合いをし、ある意味では政党内で政権交代をしていたことなんだと。しかしながら、自民党内で揉め事があるにしても世論、他政党に対しては統率がとれており団結して打ちのめす力、お金もあったためだろうと感じた。

 

すべての内容を書ききるには時間がかかるのと、文書力のなさ故に大変なのでここにきて感想を書くことが苦痛になってきました。

 

三島由紀夫は、石原慎太郎の初の選集を解説すると買って出、その中で政治という言葉を使わず、将来の政治参加を予見していたそうだ。そのことを知ったのが、参院選に出馬するときと重なり涙したそうだ。今まさに三島由紀夫が評価されていると感じるのは、私だけではないと思う。評価という言葉が間違っているしれないが、まさに三島の言ったとおりの日本人が今の日本国に存在する。危惧したとおりの問題が起こっている。自決すのではなく生きて、日本人をメディアで論破しつづけてくれれば、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角にはできていないと思う。

 

田中角栄については、ずっと評価をしていないとメディアでも発言しているが、反田中、保守という枠で皆が集まった青嵐会の存在がこの本では一番興味深いものになった。青嵐会の存在を知ったのは、まだ浜田幸一と三宅久之が一緒にTVタックルに出演されているころ、青嵐会の映像が流れた。なにをやっているか最初は解らなかったが、カッコイイという印象だけがあった。必死に日中友好を反対していたのが思い出される。したたかな保守というより、この時代の風潮とハマコーさんのせいだと思いますが、過激に映っていました。

この本の中で命名についても説明がある。

「青嵐というのは寒冷前線のこと。つまり夏に激しく夕立を降らせて、世の中を爽やかに変えて過ぎる嵐のことですよ。我々のこの会の使命もそういことでしょうが。別にこの会で政権を打ち立てるための権力闘争をやろうという訳ではないでしょう。教養のある人がみれば、字面からいってもいかにも美しいイメイジだと思うがね。

命名ひとつにしても一々かっこいい。

 

中川一郎、渡辺美智雄の政治家としての凄み、魅力などが知れてよかった。中川一郎の死に関しては、亡くなられたことしか書かれておらず真相はなにも書かれていない。中川一郎はなぜ死ななければならなかったのか、それは墓場までもっていくという話をきいたことがる。

青嵐会の同士が次々に亡くなるところは、すごく残念というか本当に偶然なのか、興味がすごくある。

 

少し疲れたのでまた今度、感想の続きを書きたい。

 

 

 

 

 

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